金本武士さん

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この本には、知らない国の知らない味、知らない街並、知らない人達の厳しい現実や祝祭、知らない営みが書かれている。松本智秋さんが、手で触れ目で見て足で歩き、言葉や身ぶり手ぶりを交わした、いくつもの旅の記録。

彼女は、さまざまな出会いに喜びながら、それぞれの事情に戸惑いながら、食べる。とにかく食べる。出てくるごはんはおいしそうなものばかりだが、たまに果物か野菜かわからないものや、すぐ近くでさっきまで生きていた肉を食べたりもする。今作はイスラム教国とムスリムが住む地域を旅した記録なので、飲食に制約もある。日本に住んでいては気づかない、「食べる」という行為の幅の広さを体験している。

自分のこれからの人生で、この本に出てくる国々に行くことはないかもしれない。撮影された料理のほとんどを味わうことがないまま生きていくのだろう。とても遠くのできごとのように感じる。しかしページをめくると、知らない顔がこちらを見つめていてはっとする。智秋さんが撮る写真は、決定的瞬間というよりは、なんでもない中のほんの少しのいい時間を切り取っている。少し暗くて柔らかい光、被写体との距離感が、こちらとむこうを近づける。写真を通じてかすかに繋がっている。わたしとあの人達は、無関係ではないのだ。勘違いというか思い上がりかもしれないけれど、この本はそう思わせてくれた。

そこに行くことはできなくても、ここにある本は手にとることができる。紙に触れ、インクの香りをかぎながら、味や人、場所の匂いを想像する。だんだんお腹が空いてくる。それだけは確かに実感する。

それにしてもですよ、それにつけてもですよ。現地の人と、あんなにすぐ親しくなれるもんだろうか。なぜそんなに親切にされるのか。外国から来たお客さんだからもてなされているだけなのか。でも思い返してみれば、智秋さんは出会ったその日からよく喋り、本当によく喋り、さしたるきっかけもないまま、いつのまにかうちとけていた。だからこの本は彼女にしか作れなかったはずです。長い時間と距離をかけ、何人もの人達と共に、智秋さんがこの本を作ったということを嬉しく思います。

金本武士さん
金本武士さん
古い喫茶店に行くのが好きなのに、コロナで行けなくなったので、なんでもない毎日をやり過ごしている。