「月明かりの夜の旅」
この「旅をひとさじweb」にコメントを寄せてくださった藤岡みなみさんが今朝、『旅をひとさじ』の背表紙をTwitterに投稿くださった。そのツイートが、SNS弱者のわたしからするとバズったと言いたくなるくらい(笑)たくさんの反応があり、少し驚いた。
岡田さんは「ラーハにぴったり置き換わる日本語がないのがいい」と言う。わたしもそう思う。
旅から戻り、旅で過ごした時間を思い出すとき、あの ふわぁ とした心地のよい時間をことばではなく感覚優先で振り返られる。それぞれの解釈でラーハを取り込むことができる。それはとっても贅沢なことだと感じる。
コーランを深く研究されているあるイスラム思想研究者の方は「ラーハ」に関する片倉もとこ先生の記述を否定している。そういった”ゆとろぎ”は裕福な人たちの特権階級的な過ごしかたであり、ふつうのムスリムたちはそうではない、と。彼らが信じる世界平和は全人類がイスラム教を信仰すること。そこに多様性などなく、非常に原理主義的である、と。ここでいうふつうのムスリムは「生活に追われそれどころではない」暮らしをしている人たちを含む。それは日本で働き暮らしている人たちを見ていても想像はできる。
なにごとも一括りにはできないし、わたしはどちらも本当に存在する世界だと思っている。向いている方向はそれなりにまとまりがあったとしても、思想は人の数だけあるとも思っている。そのうえで、わたしがイスラムの土地を旅して「ラーハ」を感じる時間をたくさん過ごしたことは、わたしの揺るぎないファクト。だから『旅をひとさじ』に書くことができた。
「ラーハ」の語源は「月明かりの夜の旅」。それを知ってからわたしは、自分が住んでいる街を月が明るく照らしてくれる夜に、よく散歩をするようになった。『旅をひとさじ』制作中はとくにそうだった。濃い紺色の空にぴかぴかと光る月を見上げると、ただそれだけで涙が出る。気づかなかったやさしさや美しさに気づく。
そんな夜は、つくづく、しみじみと、旅はいいなあと思うのです。