旅のエッセイ

出版記念イベントの準備で気忙しい。普段は思わないけれど、何かを前にしたとき自分が実は心配性であることを自覚させられる。

イベントに制作途中のエトセトラもご覧いただけるようにしようかしらと、メモ書きをしたゲラや、レイアウト案など見返す。驚くほどずっと前のことように感じた。そして思い出す。『旅をひとさじ てくてくラーハ日記』を作るのが本当にたのしかったこと。

次の修正版があがってくるまでいつも持ち歩いて
何度も読み返していたのでボロボロ
シリアのレイアウト・見せ方はいちばん悩んだ

わたしは長年「現役じゃなくなったら旅の話をむやみにしない」という掟を自分に課していた。もっと若かった頃、わたしは年上の旅慣れた旅行者たちに「自分の旅語り」をよく聞かされた。彼らの話の切り口は決まって、こう。「今と違って俺が旅をしていた頃は」「君は知らないと思うけど」。

知らないことを知るのがたのしくって旅をしているのに、知らないことで経験を振りかざして好き勝手語る対象にされることは不毛だった。だから、もし自分がどんなにたくさん旅をしても、旅をしなくなったらもう旅の話は封印しよう、とその頃に強く思った。相手が自分の体験でもって知ろうとするこれからに、(自分が悦に入るだけの)自分の過去の旅話で自覚なくそこに介在することは避けたいなあ、と。

だけどコロナ禍に入り、掟が揺らぐ。行きたいけど行けない。旅が恋しい。旅の話をしたい。だけど過去の旅をやみくもに引っ張り出してただ話すだけの自分に心地悪さがつきまとうし……。

教会? 寺院? 神殿?
正しい呼称が判断できず英文記事やマスコミ各社が
どのように表記しているかなどチェックしていた

で、まあ、突然まとめてしまうのですが笑、『旅をひとさじ』制作中は旅に出ていないけれど現役であれたなと思えて。それで旅の話をすることを許せたのです。これ、当時のわたしにとってとても大きなことだった。自分のなにかを許せるって最大の自己肯定、ある種の「解放」だなって。

GOTTAのイベントも、旅の本屋のまどさんでのトークイベントも、自分がたっぷりと自分の旅を振り返る時間にもなる。本ができて、たくさん祝福してもらって、そういう場や時間も設けられること。ありがたいなあと思う。

わたしと面識のない人がパッと気軽に参加っていうのは少しむずかしいかもしれない。コロナだし。だけど『旅をひとさじ』を読んでくれた人と会えたらうれしいなあと思う、イベント2日前の夜です。

という自分語りどない(わはは)。

くんくん却下、焦げ目もおいしい採用
書籍『旅をひとさじ—てくてくラーハ日記—』書影

選りすぐりの写真とエッセイを収録!

書籍『旅をひとさじ—てくてくラーハ日記—』松本智秋 著

A5判並製・コデックス装・フルカラー・144頁
定価:本体1800円+税

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