旅のエッセイ

すっかり春めいた。東京でたくさん雪が降ったころは大阪にいたので、今年もたいした雪景色を見られないままの越冬となってしまった。旅先でのほうが雪景色と遭遇しているよなあ、と思う。

旅先ではじめて雪を見たのは2004年11月末、トルコ。わたしはシリアビザを申請するために、首都アンカラへ行かなければならなかった。列車の寝台コンパートメントに乗り込むと、15歳くらいのとってもかわいい少女がひとり。相席がヘンな人だったらいやだなあと心配していたのでホッとする。ただお互い英語もトルコ語もできないもんだから、「メルハバ」と挨拶をしてからはとくに会話を交わすこともなく。足元からごうごうと送り込まれる暖房はあっという間にコンパートメント内をあたため、わたしは横になってうとうと。

どれくらい時間が経ったか、突然 とんとん と肩をたたかれて目が覚める。見れば同席の少女が暗がりのなかでも分かるくらいにっこり笑っていて、わたしの目を見ながら人さし指でちょんちょんと車窓を指した。

ぼけっとした目をこすり窓の外を見ると、そこには銀世界が広がっていた。思わず「わあ!雪!」と声が出る。少女のほうを見ると、彼女はまたにっこり笑って「チョク ギュゼル(とってもきれい)」と言い、横にはならず、座ったまま頭を壁に傾け目をつむった。足元からは勢い変わらずごうごうと暖かな風が車内に送り込まれ、列車はガタゴト音を立てて走る。雪の降る音は聞こえないけれど、”しんしん” とはよくできた表現だと思った。とても美しい瞬間だった。

朝起きると彼女はもういなくて、きっと途中の駅で降りるから身体を横にせず仮眠をとっていたんだろうな。ふたたび眠る前にお礼を言えばよかった、と少し後悔しながらコンパートメントを出ると、通路はキンと冷え、車窓から見える街には雪がすっぽりかぶっていた。

この通路で少し震えながら車窓をしばし眺め、眠っているわたしに雪景色を見せたいと思ってくれた彼女の気持ちこそがなによりチョク ギュゼルだよなあ、と思った。じわじわと深夜の雪の幸福感がわきあがってくる朝。

列車が来る前。

アンカラ行きの夜行列車が出発する日の夜はとても冷え込んでいて、ホームでぶるぶると震えながら列車を待っていると、駅員さんたちがここで待っていないさいとあたたかい部屋へ招いてくれた。

チャイを注ぐ前にグラスをきちんと温めるおじさん
わたしの『旅の指さし会話帳』を見ては
あれこれ質問してくるおじさんたち
列車が来る前に記念写真

このときいただいたチャイは、ホームで冷え切ったわたしをじんわりと温めてくれ、本当にありがたかった。寒いと、人のあたたかさがよりあたたかく感じられるのかな。雪が降る前のあったかいチャイの記憶とわたしが旅先で見た初雪の記憶は、トルコでのいちばんの思い出。

書籍『旅をひとさじ—てくてくラーハ日記—』書影

選りすぐりの写真とエッセイを収録!

書籍『旅をひとさじ—てくてくラーハ日記—』松本智秋 著

A5判並製・コデックス装・フルカラー・144頁
定価:本体1800円+税

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