旅のエッセイ

(前エッセイからなんとなく続き)
到着した早朝のアンカラはすっかり雪景色。当時シリアビザは午前中に申請すれば当日午後には発給されたので、早々に宿を決め荷を下ろし、大急ぎでシリア大使館へ。

到着したシリア大使館はとんでもない人だかりだった。「あちゃー、午前中の申請は厳しいかも……」

しかしそんな予想に反して「お? ビザか?」「日本人か?」「シリアへ行くのか?」と並んでいる人たちから質問攻めにあい、気がつけばあっという間に窓口に誘導され、あれよあれよと申請が済んだ。そして窓口の人に呼ばれるがままついていくとそこは暖房がきいたあたたかな応接室。身なりのいい男性が出てきて、にこにことチャイとスィミット(トルコのごまパン)を「食べなさい」とわたしの前にコトンと置いた。

ーーシリアへ行くのか?

ーーはい

ーーシリアは好きか?

ーー初めて行きます

ーーそうか。シリアは美しい国だよ。午後にビザを取りにもどってきなさい

ーーはい

など話しながらチャイとスィミットを平らげる。館外に出るとわたしを優先してくれた人たちがまだ並んでいる。お礼を言って手を振り、大使館を出る。……はずが、門番の人たちに呼び止められ、ポリボックスのような小さな部屋へ連れていかれる。「寒かっただろう」「食べなさい」とまたチャイとスィミットが出てきた。げふぅ。お礼を言い、「またあとでね」と手を振って小さな建物から出る。

申請した書類一式。外は銀世界

さて、午後までどうしようか、と歩き始めてすぐに、ひとりのおじさんから声をかけられる。お互いカタコトの英語で話しているとすぐそばのカフェに案内してくれた。おじさんも着席し、「チョルバ(スープ)をどうぞ」と言い、チョルバ・エキメキ(パン)・チャイを注文し、手で太ももや頰をさすり「寒いから」というジェスチャーを何度もした。少し話した後おじさんは、腕時計の2のところを指し、大使館の方角を指差して、次は両手をテーブルの上に広げてピラピラさせ、うんうん頷きながら片手をすっと挙げてお会計を済ませて出ていった。

14時にシリア大使館へ行くまで、ここでゆっくり過ごしなさい。

そんな意味だとわたしは解釈した。そうして午後、シリア大使館へ戻ると、入り口でまた門番の人たちにチャイに呼ばれたけれど、さすがにもうお腹がちゃぽちゃぽで断った。午前中に並んでいた人たちは誰ひとりいなかった。みんな無事に申請できたんだろうか。よくわからないけれど、きょう会ったすべての人たちを無性に恋しく思った。

いま、世界情勢は最悪だ。だけど「世界はやさしい」とわたしが信じられるのは、世界は国家ではなく、人に育まれ呼吸をしているから。

寒かったでしょう。 朝ごはんは食べたのか? これであたたまりなさい。

そんなふうに掛けてもらった一つひとつのことばが、いまわたしの信じる気持ちを支えてくれている。

書籍『旅をひとさじ—てくてくラーハ日記—』書影

選りすぐりの写真とエッセイを収録!

書籍『旅をひとさじ—てくてくラーハ日記—』松本智秋 著

A5判並製・コデックス装・フルカラー・144頁
定価:本体1800円+税

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